鯨紀行

主に旅行記と、日々の思ったことを少々。

自分を規定する/されてしまうこと

とあるサイトにて「携帯電話とのつきあいかた」という動画を見た。
その中でのひとつの結論が実に興味深い。

「我々は、我々のアウトプットによって、自分自身が規定される」

これって確かにそうだ。

インターネットがこれだけ普及したことによって、様々な情報を得ることができるようになった。有名な人から友人まで、大体はネットを通じてその人の情報に触れている。そこで触れる情報は、大抵はその人がアウトプットしたものだ。その人自身に会って、自分が判断したものではない。

毎日面白おかしいストーリーを書いている人がいたとする。自分は「この人はいつもこんな風に楽しく過ごしているんだろうな」と思うだろう。もしかしたらその人は、辛い現実を少しでも遠くへ追いやろうと、無理矢理にそういうことを書いているのかもしれない。ネットでは気づけ無い、裏の部分があるのかもしれない。

勿論現実に会ったからといって、では裏の部分に気づけるかといえばそんなことはないかもしれない。でも、ネット上ではそれがほぼ100%になりがちではないかと思う。文字データだけから判断することの限界は、そう高くは無い。

こういう話はネットが流行りだした頃には言われていた気もするが、最近はあまり見なくなった。そういう社会が一般的になりつつあるのか、それとも皆無意識のうちに区別できるようになったのか。そんなことはないと思うけれど。